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平安時代に京都から有馬温泉に駆け落ちした、左大臣万里小路盛通の息子通麿と歌い女浅茅。子供もでき、幸せに暮らしていたのに、通麿が病死し、母子は仕方なく京都へ帰ろうとして、蓬莱峡あたりまで来た時、赤子まで突然死。浅茅は山中に入り、後追い自殺。その後、赤子谷に入るとその赤子の泣き声、山に入ると、浅茅の弾く琴の音が聞こえたとか。 (この部分、西宮市の資料参照しました) これまで、何回か赤子谷のスケジュールが雨のために中止になりました。本日は楽しみにしていた半面、危険個所もあるようだし、少しビビっていたところもありました。昨年8月の地獄谷歩きで、軽い熱中症になりかかって、昼食が食べられなかったこともありますし。生瀬駅から生瀬団地上まで、少し暑い中を登らなければならなかったが、山に入ると、少し涼しく感じるほどで、左俣、赤子谷大滝、ゴルジュ辺りは、水辺が大変気持ちがよく、このままゆっくりしていたいと思ったのは皆さんも同じであったのでは?水辺の風は涼しく感じますものね。送電線鉄塔下からは、一部予定変更して、エデンの園には行かずに、白瀬川源流バイパスを通って阪急バスの西山団地前停留所まで歩きましたが、こちらは普通に暑かったです。リーダーによって(2+α)とされたコースでしたが、あまりきついとは思えない、快適なコースでした。皆様お世話になりました。(谷敏廣) |